日本の西洋料理の歴史

13.ホテル産業の発展


●ホテル業界

 日本のリゾート地の代表といえる軽井沢は、英語教師ジェームズ・ディクソンと宣教師アレキサンダー・ショーとの二人によって、リゾート地としての歴史がスタートします。
 ディクソンは、イギリスの気候に似た軽井沢を避暑地として気に入り、空き家になっていた旅籠屋を借りて夏の間を過ごすことにし、ディクソンに連れられて軽井沢に来たショーもまた、この地を気に入って別荘を建てたほどでした。
 そこに目を付けたのが、ディクソンが借りた旅籠屋の持ち主の佐藤万平です。
 佐藤は、仕事を辞めてディクソンのハウスコックとなり、避暑に訪れる外国人を相手にしたホテルの経営を考え、旅籠屋をホテル風に改造し、1894年(明治二十七年)に「亀谷ホテル」として開業し、翌年には「萬平ホテル」と改称しました。そして、鉄道が開通したことによって避暑に来る外国人の数も増え、1902年(明治三十五年)に現在の桜の沢に移転して本格ホテルを建設し、名前も「万平ホテル」としました。外国人が主な顧客だったので、二代目万平の国三郎は外国船でコックの修行も積みました。
 このホテルは軽井沢の名ホテルとして現在も営業し、多くの著名人に利用されてきましたが、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと伴に毎年避暑に訪れ、ジョン自身の指示で作られたオリジナル・ロイヤルミルクティーは特に有名で、このホテルの名物になっています。
 また、1899年(明治三十二年)には、軽井沢で初の純西洋建築である「軽井沢ホテル」が開業し、1906年(明治三十九年)には、「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれた「三笠ホテル」が開業します。三笠ホテルは、岡田時太郎設計の美しい純西洋建築で、現在営業はしていませんが、国の重要文化財に指定されています。
 こうして、はじめは外国人のリゾート地として発展した軽井沢ですが、次第に日本の政財界の有名人や文化人も別荘を建てるようになり、昭和に入って朝香宮家が別荘を建ててから格も上がり、以後、金持ちのリゾート地の代表としてその名を不動のものにします。

 関西では、後藤勝造(株式会社後藤回漕店の創業者)が、1897(明治三十年)神戸に「ミカドホテル」(開業時の名前は「後藤旅館」で、一時、草野丈吉の妻・草野錦が経営を担当し「自由亭ホテル」と改称するが、1901年にミカドに改称)を建設し、その後同氏によって高級フランス料理店「みかど食堂」が作られ、この店は日本最古の駅構内食堂として近年まで営業していました。
 1907年(明治四十年)には、ドイツ人によって「トアホテル」が北野町に開業しています。総料理長には、横浜居留地四番ユナイテッドクラブ料理長だったL.ブレヤー(L.Bullier)、日本人料理長には横浜居留地五番クラブホテル(後のセンターホテル)出身の五百木熊吉が就きました。なお、現在、旧居留地から北野町にかけて南北に通る「トアロード」という坂道はこのホテルの名前に由来しています。
そして、神戸では老舗のオリエンタルホテルでは、経営者であり腕利きのコックでもあったL.ベギューが、1890年頃にF.アリノス(F.Arnoux)という、フランスでも名が通っていたと言われるコックを料理長として呼び寄せます。このアリノスの指導を受けた日本人コックは数多く、神戸のオリエンタルホテルは、神戸のみならず、西日本における西洋料理の総本山的な存在となりました。
 大阪では、中ノ島に「大阪ホテル」が1902年(明治三十五年)に建設され(草野丈吉の自由亭ホテルが火事で焼失した跡地)、古都・奈良においては、「西の迎賓館」と呼ばれる「奈良ホテル」(料理長・久富久太郎)が1909年(明治四十二年)に開業するなど、ホテル史に名高いホテルが開業しています

●中国進出

 1904年(明治三十七年)〜1905年にかけての日露戦争に勝利した日本は、ロシア帝国が建設した東清鉄道の一部である南満州鉄道を獲得しました。
 そして、1907年(明治四十年)に開業した「大連ヤマトホテル」を筆頭に、「旅順ヤマトホテル」、「長春ヤマトホテル」、「奉天ヤマトホテル」など、鉄道沿線にヤマトホテルチェーン網が敷かれました。
 このヤマトホテルの宿泊客のターゲットは外国人客で、迎賓館の役割もあっため、採算度外視した経営で豪華さを誇っていました。
 また、日本の海外進出先には台湾も含まれ、1908年(明治四十一年)には神戸のミカドホテルの経営によって「台湾鉄道ホテル」が開業し、初代料理長には神戸オリエンタルホテル出身の山口勇治が就任しました。
 さらに、後に帝国ホテルの社長となり、日本を代表するホテルマンとして活躍する犬丸徹三が、1910年(明治四十三年)、一橋大学(当時は東京高商)を卒業して長春ヤマトホテルにボーイとして入社し、ホテルマンの第一歩を踏み出しました。
 また、1910年に締結された「韓国併合ニ関スル条約」によって立てられた韓国の李王家の専属料理人として、帝国ホテル初代総料理長の吉川兼吉が朝鮮半島に渡っています

 

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